90年代は数々イベントも企画/プロデュースいたしました。そしてその影響力は、若いDJ達だけではなく、様々のジャンルの多数のクリエーターの方々にまでも至っていると思います。日本国内のクラブ、イベントはもとより、海外においてはイギリス,ギリシャ、イスラエル、台湾、アメリカ、東南アジア、ニューカレドニア等のイベントに招聘されGIGもおこなっております。
私は当時日本に輸入されている既存のロックやニューウェーブ、ハウス、エレクトロポップ、トランス、テクノ等を用いた複合的なDJスタイルから、海外視察を経て1991年に日本に存在していない音楽シーンであるサイケデリックトランスダンスミュージックを専門的に扱いDJイベント活動を開始いたしました。その頃、日本でサイケデリックトランスを専門的に扱うDJ/プロデューサーやエンジニア、コンピュータマニュピュレーター等は私の知る限り皆無でありましたので東京においてサイケデリックトランスに出会った方はおそらく私と遭遇していると思われます。
そもそもジャンルとしてのダンスミュージックというものはDJによって創られていく音楽です。DJの創る特殊なフォーマットの上に一つの音楽ジャンルとなるダンスミュージックは生まれていきます。そして、それがエンジニア、コンピュータマニュピュレーター等に反映されDJの創る特殊なフォーマットの世界へ入って行きます。つまり、DJのサウンドの一部になることができるようになります。その反復によりさらにダンスミュージックは発達していきます。このようにして、新しい音楽ジャンルが発展し形成されていくのです。このことは私がこれまでにおこなってきた活動の歴史や経験からいえることであるといっても過言ではありません。この新しい音楽スタイル「サイケデリック(テクノ)トランス」の情報は、日本国内のみならず瞬く間に海を超え、世界中にDJ KUNIの活動が熱狂的なファンの間で反響するようになりました。
大学卒業後も海外視察を重ねクラブでのレギュラーDJイベントをおこなう等、それまでの個人事業によるノウハウにより音楽事業をさらに拡大していき、1995年に東京テクノトライブレコード株式会社を仮(便宜的に休眠会社一時借りの為)設立し、事業を法人化、TOKYO TEKNO TRIBE(通称TTT,TTTRECORDS)を発足、主宰。これはアーティスト名であると同時に日本国内で最初のサイケデリックテクノトランスダンスミュージックレコードレーベルともなりました。イギリス、ヨーロッパ地域及びイスラエルにてライセンス発売したものもございます。ポニーキャニオンより3枚のアルバムコンピレーションを発売に至りましたがこれはインディーズであったダンスミュージックのメジャー化元年ともなりました。そして同じく1996年にはDJ KUNIの活動が発端となっておこなわれた日本では最初といってもよい大規模な野外フェスティバルイベント”レインボー2000”にTOKYO TEKNO TRIBEは出演し18,000人の聴衆のみなさまへサイケデリックトランスのライブをお届けすることができました。そしてその後、有限会社ティーティーティーレコードを本設立し営業事業移行(一部飲食事業を除き、有限会社ティーティーティーレコードに営業譲渡、合意書によって追認あり)いたしまして、事業移行後にポニーキャニオンよりTOKYO TEKNO TRIBE2をリリース、1998年にはDJ KUNI MIXをミュージック・マインよりリリースいたしました。現在においても数多くのファンのみなさまに聞いていただけるのは大変嬉しい限りです。
また、ポータブルコンパクトディスクプレーヤー"Loopmaster" TOKYO TEKNO TRIBEモデル(パイオニア(株))も発売、ラジオ番組への出演他、海外ライブツアー等、様々な企画にも参画し活動の幅を広げております。
私どもは、これまで幾多の苦難を乗り越え、これらの諸活動を通じ、世界中の音楽ファンを中心に魅了し続けてきました。今後もサイケデリックトランスの音楽の重鎮として活動し続けるだけでなく、企画の原点になる創造をテーマに尽力し続け社会貢献していく所存です。もちろん私ことDJ KUNI自身といたしましては、自他共に認められる日本におけるサイケデリックトランス音楽シーンの原点、第一人者であり、日本の音楽の歴史を語るにおいて決して忘れられることのできない存在であると自負しております。
今後とも、私ども有限会社ティーティーティーレコードをよろしくお願いいたします。
平成21年1月
DJ KUNI
(K.TANAKA)